前回から続く
 水球は、ボールを持っている相手を沈めることがルールとして許されています。見た目は水上ハンドボールやサッカーのようですが、身体接触に対する考え方はラグビーに近いでしょう。「水中の格闘技」と称されるゆえんですが、ゴール前ディフェンスで上から相手に乗りかかられても、これを強力な巻き足(立ち泳ぎ)で背負ったままゴールにボールを叩き込む豪快さは水球の醍醐味の一つです。
 とはいえ、高校から競技を始めて1~2年でこの域に達することは容易ではありません。水球は体の大部分が水中にあり、さらに物理的にも、ルール的にも足が水底に付けられません。また、ボールに対する人の移動速度が遅いため1対1の攻防が基本となりますが、そのため位置の取り合いで必然的に押し合い、つかみ合いが発生します。ボールを保持していない相手に対して、これらはすべて反則です。一方で、サッカーなどと同様に反則を受けても不利にならない限り継続する「アドバンテージルール」が適用されますが、その適用はプールサイドに立つレフェリー(審判員)に委ねられます。そしてこれは選手の競技能力にも応じ、初心者には溺れないような笛が鳴ります。
 私が水球にのめり込んだきっかけの一つに、このレフェリーがありました。飛込が専門だった顧問の新川先生が練習中楽しそうに笛を吹く様を見て体験させてもらったところ、そこは全体がよく見える「一等地」で、全員のチャンスが手に取るようにわかります。「沈められても沈まない」ような個の力よりも、古宮さん仕込みのチーム戦術に楽しみを見出した自分としては、プレーするよりもレフェリーとして見る方が楽しいと思える程でした。それから練習でも機を見ては自分で吹くようになり、引退後も(受験そっちのけで)レフェリーを続けていました。浪人時代、入れ替わりで入学した3学年下は「歴代最強」の呼び声も高く、古宮さんに声を掛けてもらって予備校帰り部活に参加。水中で練習相手を務めるとともに実戦練習では笛を吹いていました。そして予備校での成績も夏休みの間に急降下しました。

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プールで遊ぶ予備校生 ボールゲームで左利きはお得


 現役を引退した後、古宮さんは自身にまつわる水球以外の話も教えてくれました。実家がおもちゃ屋で、私が小学校低学年まで過ごした家(兼当社初代本店)最寄りの都賀駅前のショッピングセンターに店を構えていたこと。そこで培った特技として、釣銭用の100円玉は目をつぶっても10枚丁度を一握りで取れること。その後家業は継がず、商品の企画で生計を立てていること。新婚旅行には奥様に加え遊び仲間も同行して4人で公営ギャンブルの「旅打ち」をしながら東海道を進み、浜松オート種銭が尽き帰途に着いたこと。古宮さん地元の船橋市は競馬場2つ(中山、船橋)にオートレース場もありました。特に船橋オートには日参していたそうで、距離ハンデなど独特なルールと予想方法を教えてもらい、会場にも連れて行ってもらいました。当時は自動車be-1の企画を担当した直後で、時間的にも金銭的にも余裕があったそうです。平日日中に母校プールに通い続ける自由人の正体は、今でいうFIREでした。古宮さんの特殊過ぎる人生を参考にしようとは思いませんでしたが、家業から逃れたくサラリーマンにあこがれていた自分としては、こんな第三の道もあるのかと、感嘆していました。
 そんなプールでの現実逃避も終わり、秋からは勉強に追い込みをかけてなんとか合格。当時インターネットはなく、大学構内の合格掲示板で自分の受験番号を確認しました。一緒に合格した高校同期と喜びを分かち合ってた時、声を掛けられました。ライバル県立船橋高校水球部から現役で合格し、1学年上で水球部に入部していた内野明彦さんでした。早速勧誘を受けました。
 高校3年次、2期上の先輩が1浪を経て上智大入学後に水球部を立ち上げました。やはり県立船橋高校など他校出身者が集まったそうで、新たにチームを組む楽しさを語っていました。これを聞いて浪人時代に私も上智大学も受験しようかと考えましたが、親からは「水球で大学を選ぶレベルではないでしょう!」と諭されました。
 さらに、親からは学費と一人暮らしの生活費負担の条件として「夏休みと春休みの書き入れ時は家業を手伝うこと」を厳命されていました。時はバブル真っ盛り。千葉では田園地帯にロードサイド店舗が雨後の筍のように開店し、工事の手はいくらあっても足りません。防犯設備工事はその特性上、元請から従業員に対し厳格な身元確認が求められていましたが、父は(身内を除く)と解釈していました。また、母はそれ以上に大学に入ってまで水球漬けになることを懸念していたようでもありました。
 入学後、迷いながらも、誘われるまま部室に顔を出しました。4年生は広島、熊本、3年生は東京、千葉と、全国から経験者が集まっています。高校では全国大会や関東大会まであと一歩というところで敗退し、「もっとできたはず」という思いで取り組んでいるとのことでした。大学院生もコーチとして参加する練習は週6回。またも水球漬けになることは必至ですが、競技が要求する体力レベルを鑑みると当然です。ゴールデンウイークには東大、一橋大との三大戦がおこなわれるとことで、受験でなまった体で参加しました。途中出場で退水1つを誘発できたものの、案の定動けませんでした。ボールを持った時の当たりがきつく、沈められて溺れても笛が鳴りません。試合後3年生の先輩からは「プレーが軽い、巧さは認めるが強さは所詮高校レベル」と断じられました。
 会場には、ゴールキーパーだった高校同期が同じように一橋大から参加していましたが、結局入部しませんでした。東工大には他に現役2名、一浪2名の同期が進学しましたが、やはり誰も入部することはありませんでした。
 水球は好きだけど、折角大学に入学して、皆が新しい道を見つける中で、自分だけがこのまま選手として高校と同じリズムで水球に没頭してよいものか、迷いました。これから大学で得られる「何か」を見つける機会を失うことになるのではないか。古宮さんに相談したところ、「どっちでも良いけど、難しく考えすぎない方が」とアドバイスを受けました。一週間迷った挙句、結局入部を辞退しました。しかしながら、水球への未練は断ちがたく、週に何度かは千葉まで戻り、古宮さんの元で母校の水球を見て、その後喫茶「かたふり」深夜までたむろしていました。

続く