私が出場した「アタック25next」、ご覧いただけましたでしょうか? 初回放送はBSJapanxet開局初日の特番として生放送されましたが、私の回はその前に収録された「真の第1回」です。 大阪朝日放送から以前のセットを運び込んだとのことで、スタッフの皆さんも新しいスタジオで段取りの確認、調整を繰り返していました。私も稀有な場に立ち会うことができ感無量です。結果はご覧の通りでしたが、最初の1か月はとりわけレベルが高い回答者が多く、後日放送された「年間チャンピオン出場決定戦」を見て圧倒されました。
司会の谷原章介さんは、朝の生放送を終えてからの到着でした。当日は初回収録ということもあり、取材対応もされていたようです。前回出場時に司会をされた児玉さんと同様に、一問回答する度に色々話しかけていただきました。谷原さんは私とは同い年ですが、そのビジュアルにも圧倒されました。長年屋外プールで紫外線を浴びまくり今更ですが、自分もスキンケアもきちんとしようと思いました。と同時に、そもそも同い年ということだけを基準に比べること自体がおこがましいことに気づき、反省です。
さて、私の出場回放送日の翌週、地元鎌取コミュニティセンターで全社会議を行いました。当社の工事担当者は毎日現場に出向くため、全員集まるタイミングが中々取れません。それでも以前は一社下請のため仕事の話題も自然と共有できていましたが、私が家業を承継してからは請負先も複数化したためこれも難しくなってきています。さらに、今年からは平泉電気も承継して拠点も複数となりました。これからは意図的にコミュニケーションを増やす必要があります。
コミュニティセンターを借りての会議は承継後8年間で何度か行いましたが、すべて自分で企画、運営し、時間も特別教育や外部研修などと組み合わせることで会議自体は2時間以内に抑えていました。しかしながら、これではどうしても自分が話したい内容の一方通行になり、聞く側も苦痛でしょう。そこで今回は取締役の皆川さんにも企画を出してもらうとともに社内外の方にも登壇をお願いし、丸1日会議のみを行います。
丁度、BSJapanextと同時期に開局したBSよしもとでは伝説の(裏)一日と題し2日間イベントの楽屋で生中継していました。当社でも、この会議を「伝説の1日」として開催します!
まずは午前。プロ人材のお二方にご講演をいただきました。合同会社イテルの松井さんには「SDGsと経営理念」と題して、SDGsが策定された経緯と企業におけるSustainable(持続可能性)について、そして当社が持続するための軸=企業理念の必要性についてレクチャーをいただきました。
次に、大塚さんには「会社のことを考えてみよう」というお題で、労働契約に基づき会社の命令に服することと、そこで健全に仕事をするための処方箋として「価値観の共有」について投げかけをいただきました。
そして、午前最後に当社の経営理念を発表しました。
企業理念
誇りと責任を持って仕事を楽しみ 社会に安心を与える
ミッション
確かな技術と豊富な経験をもとに 仕事の幅と深さを究める
ビジョン
便利で安心して暮らせるまちの創造
多くの小規模企業と同様、当社には創業時から明文化された経営理念はありませんでした。そして多くの創業者と同様、父もこれを気に掛けることなく経営を続け、引退しました。母の語録に頼る限り、創業前から自然エネルギーの有効活用を考えていたそうでした。そのため、いち早く自宅屋根に三洋電機のソーラー発電設備を設置し、設置工事に進出しました。しかしながら、ここからリスクを負った事業拡大を指向することなく工事に専念し、同社の吸収合併と共に事業を終えました。
一方、私はサラリーマンとして企業理念については一歩引いて眺めていましたが、うち二社では策定、公表された場にも立ち会いました。一社目の不動産投資ファンドで公開されたミッションは、「世界の投資家に、世界の不動産をクロスボーダーで提供する」でした。同社は2000年代の不動産投資ファンドブームにおける上場ベンチャー第1号でしたが、その後同業他社が爆発的に成長する中で伸び悩んでいました。そこで、創業社長の同級生を共同経営者として迎え、一気に海外取引を拡大して世界に打って出ることを宣言しました。しかしながら、既にサブプライムローンの悪影響が見える中で「逆風満帆」となり、リーマンショック後の2009年倒産第1号となりました。
2社目のクラウド(IT)ベンダーでは、上場準備が本格化した頃、社内会議で社長が「知識の集約による 顧客の業務に革命を 顧客の資産に価値向上を」というビジョンを公開しました。当時、上層部の中には「学者肌の社長の道楽」という声もありましたが、その新規提供サービスを見る限り、徐々にその方向に進んでいるようです。
当社でも、まずここから取り組むこととしました。当社は、私はそもそも何をしたいか。これまで自分が副業プロ人材としてお手伝いしてきた会社の社長は、皆押しなべて「やりたいこと」が明確です。それに対し、自分自身が企業経営者として何を目的としてきたか、経営上の自立とリスク回避を目指し一社下請からの脱却を掲げ達成できたものの、その後のビジョンについては承継8年経っても会社と個人の擦り合わせができません。父の場合、ソーラー発電設備工事から撤退した時点で現場にも出なくなり、人生の目的がなくなったように見えました。私も同様になる危機感をプロ人材のお二方に伝え、自分と会社が共有できる羅針盤として、企業理念、ミッション、ビジョンに注力しました。家業を継いだ自分自身については40代を通して散々悩みましたが、会社については一歩引いてはいなかったか。本事業で改めて考えさせられ、一つの方向性を社内外、そして自分自身に示すものができました。千葉市役所webサイトでは新規事業創出支援事業の当社事例として載りましたが、具体的にはこれが現時点での成果です。(つづく)