私がサラリーマンを辞して家業である当社を継いだのは2014年5月。同時期に発行された中小企業白書では、期しくも「次世代へのバトンタッチ」として事業承継・廃業が特集されました。それからの事業承継に関する経緯は本ブログへの記載内容も含め悪戦苦闘の連続でしたが、父を看取り、一社下請を脱し、プロパー社員により社内が自律的に回り出し、肩の荷が少し下りた感じがしています。
 中小企業白書ではその後も2017年度版で再度特集されるなど、事業承継は少子高齢化を象徴する喫緊の社会課題として扱われるようになりました。また、その内容も従前の相続対策などの資産承継から経営そのものが主題とされるようになるなど、自分の実感に近いものになってきました。改めて振り返ると、サラリーマン時代も「実家が商売している」という上司、同僚、後輩も意外と多かったように感じます。彼らに家業を継ぐと話すと、きまって「実はうちも、、」と後ろ髪を引かれている感じが見受けられました。
 承継が一段落した頃、当社事業とは別に、自分の家業承継の経験自体を世間に役立てることはできないかと考えるようになりました。介護と同様、自分の親に対してはどうしても感情が先に立ってしまいますが、第三者には仕事として冷静に対応することができるでしょう。もちろん、当社にとっても事業承継は外部成長戦略として重要な選択肢です。折しも当時受講した中小企業診断士理論政策更新研修で都道府県事業承継引継ぎ支援センターが整備されることを知り、地元千葉県と東急勤務時代に土地勘のある神奈川県で事業引継ぎ希望を登録しました。

 それから程なく、神奈川県内の同業者から直接経営引継の打診がありました。合併ではなく企業自体は存続希望とのことで、地元で新社長を用意する必要があります。自分で行くか、社員に転勤してもらうか、新たに新社長を雇入れるか、いずれも高いハードルです。しかも、建設業では経営経験と技術資格を持つ管理者が必要であり、誰でも良いという訳ではありません。そこで、サラリーマン時代の同僚で神奈川県在住の松本さんに相談しました。松本さんは私と同年代ながら、IT企業の社長秘書から内装職人に転職した「冒険者」で、グランベリーパーク工事の時には地元の協力会社を紹介してもらったことがありました。近況を尋ねたところ、コロナ禍で会社自体が休業中とのこと。そこで、新たに社長&職人見習いとして当社に勧誘し、事業引継の準備に入りました。
 ところが、この話は途中で頓挫してしまいました。ではどうするか? せっかくの縁、生後間もないお子さんを抱える身でありながら、当社に就職して千葉で修行することになりました。電気、通信工事は完全未経験ですが、人材開発支援助成金(特定訓練コース)には「中高年齢者雇用型訓練」が用意されており、OJTにも助成金が支給されます。申請先は各都道府県労働局で、就職先により神奈川、千葉で分かれます。事前相談には両方行きましたが、いずれもこれまで受付事例がないとのことで、霞が関(本省)に確認した判断が神奈川と千葉で異なるなど混乱が見られるような激レア助成金でした。なお、本助成金は2021年3月で廃止されています。
 松本さんには、本社兼実家にある元私の部屋を寮として使ってもらいます。30年前には父の実家である鹿児島から2名、母の実家である岩手から1名が上京して同じように住込みで修行し、うち1名は現在も当社で勤務しています。父の死後は一人暮らしのため他人の食事を作る機会も減った母にとって、最大6人分の食事と5人分の弁当を作っていた頃を思い出す寮母生活も満更ではないようです。松本さんは慣れない現場での「四十の手習い」ですが、持ち前の人当たりの良さと腰の低さを発揮し、社内外から「若手」として可愛いがられています。このように、助成金を活用し現場修行をしつつ、電気工事士をはじめとする資格を取得しつつ、私の雑事や工事担当者が苦手とする安全書類などデスクワークを引き受けることで瞬く間になじんでいきました。ちなみに肩書は当社初の「総務マネージャー」。自給自足でテレワーク体制も構築し、自宅に戻れる体制も整えました。

従兄弟会社誕生

 そんな松本さんが電気工事士2次(技能)試験の結果待ちだった2021年8月、神奈川県事業承継・引継ぎ支援センターから「顧客と外注はいるが、社員と後継ぎがいない会社がある」と株式会社平泉電気の紹介を受けました。社長の平泉君夫さんは御年80歳、作業は下請業者に任せるものの今も現場で陣頭指揮を執るとのことで元気そのもの。最初の言葉は「君は、やる気あるか?」でした。これに対し、紹介者である支援センターの三浦氏は「もう、やっている人だから」と切り返し、松本さんを新社長候補として紹介後、具体的な話に入りました。平泉社長は旧マイカル、イオンと50年以上にわたり店舗内電気工事を手掛けてきた関東の重鎮で、さらに奥様も以前は一緒に現場で作業されていたそうで、我が両親以上の本格派です。法人としての平泉電気は8期を迎えたばかりですが、これは事業承継のためのアドバイスに従い法人化したそうです。こちらとしては異存なく具体的な話を進めたいところですが、ここで問題が。同社の事務関係は決算税務申告に至るまですべて平泉ご夫妻の三女さんが行っているとのことでした。
 後日、金銭面も含む具体的な交渉のため、キーマンであるご本人にもお越しいただきました。三女の道代さんは、ご主人が経営するIT企業を切り盛りする現役の女将さん。当日は引継資料もビシッとファイルにまとめられていました。これはとても片手間でできる代物ではないと感じました。また、平泉電気は法人としての歴史は浅いながらも財務基盤はしっかりしていましたが、これも道代さんの小言の賜物だったようです。創業者特有の頑固さを持つ実父に手を焼きながら、本業に加え家業の経営まで面倒を見るのは本当に大変だったことと思います。加えて、お互いの子供が同い年であることも判明し、本題もそこそこに「家業と子育ての苦労あるある」話で盛り上がりました。私はいつの間にか親戚の家に遊びに行ったような錯覚に陥り、道代さんに対しても従兄妹のように接していました。

平泉親子

平泉親子


 そして決済。当初は本webサイトお知らせの通り2月1日を予定していましたが、私がコロナ罹患のため2月14日に延期しました。当日は事業引継ぎ支援センターに集合し、調印、代金決済、目録引き渡しを行った後、君夫社長お薦めのうなぎ屋で昼食会を行いました。同日午後から商業登記を行いました。以後、建設業等の許可変更と手続きを進めつつ、並行して松本、平泉の新旧社長でイオン各店舗での工事やあいさつ回り等を行っています。
 後日、道代さんのご主人が経営するIT企業「アイティマークス」社を訪問しました。本店所在地は横浜市山下町のSOHOステーション、落雷抑制システムズ社が創業時に入居し、中小企業診断士の支援先として訪問したことがあるビルです。同社はソフトウェアの受託開発や常駐業務を行っているとのことで、松本さんや私の前職と同じIT企業ということもあり、こちらの話でも盛り上がりました。吉賀社長は私と同い年ということが判明し、企業家同士としても親交を深めていきたいと感じました。
アイティマークス吉賀社長夫妻と平泉電気松本社長

平泉電気松本社長(左)とアイティマークス吉賀社長夫妻(右)


 平泉電気は、資本上は当社の子会社ですが、仕事の上では親(方)会社です。もはや吉賀夫妻は私にとって従兄弟同然。今後はアイティマークスとも従兄弟会社としてお付き合いしていきたいと思います。