サステックサロン終了後、私は東京駅に向かいました。同週末、BMネットワークの高橋先生から主宰する自在塾にお誘いいただき、鹿児島県霧島市でマネジメントゲームを受講します。最寄駅の霧島神宮駅は父郷里、大隅大川原駅の2つ隣であることに奇縁を感じ、父から相続した耕作放棄地の確認を兼ねて参加することにしました。
 折角だから父の足跡をたどろうと、父の中学卒業時の上京ルートだったという日豊本線回りで父生家を目指しました。当時、大隅大川原からは東京行「高千穂」という寝台車付きの急行があり、朝に乗って翌日夕方に着いたと聞かされました。こんな田舎の駅から東京行直通列車があるとは信じられませんでしたが、某掲示板YouTubeでは停車駅と明示されていました。
 残念ながらこの急行は山陽新幹線博多開通とともに廃止され私自身が乗る機会はありませんでしたが、その翌年正月の帰省で、新幹線から小倉乗換で西鹿児島行の夜行急行「日南」に乗りました。幼稚園に入る前で記憶もおぼろですが、「どこまで行くの?」「このまま夜ずっと走るんだよ、寝ていいよ」と、母と話したことを覚えています。そのまま古い木製の椅子に座った母に抱かれて眠りにつき、朝目が覚めても本当に走っている。そして駅に着くと、おじいちゃんが迎えに来ている。。こんな体験が私を鉄道会社就職と家業承継に導いたのかな、と今にして思えます。
 それ以来、45年ぶりに日豊線回りでの帰郷です。22時東京発の寝台特急サンライズに乗り翌岡山乗換で6時51分発新幹線「みずほ」鹿児島中央駅行きに乗車。このまま乗ると終点には朝9時46分着とのことですが、小倉で8時33分発「にちりん7号」宮崎空港行に乗り換え。「にちりん」は以前博多から西鹿児島まで直通で走っていましたが、今はほとんどが大分止まりで宮崎直通は1日2本のみ、この電車が最終です。

日本唯一の寝台特急「サンライズ」の狭い個室

日本唯一の寝台特急「サンライズ」の狭い個室

DSC_0372

特急「にちりん」宮崎空港行き


 途中、日向市付近ではリニアモーターカーの実験線が車窓から見えます。日向市と言えば以前川崎との間に日本カーフェリーが就航し、小学2年生(当社設立2年目)の夏休みに家族で乗りましたが、父は仕事で帰らず。免許取りたての母が覚束ない運転でフェリー下船から父の実家まで行きましたが、途中、ここに立寄り見学しました。実験線は後に山梨県に移転しましたが、現在線路跡地にはソーラーパネルが並んでいました。
リニア実験線は太陽光発電所に転用

リニア実験線は太陽光発電所に転用


 車窓を眺めて4時間半、13時13分南宮崎駅で乗り換えです。これまでの帰省では空路宮崎空港に入り当駅までタクシー移動し、ここから電車に乗ったこともありました。今思うと鹿児島空港の方が近いはずですが、母に聞くと、空港から電車が使えるこちらの方が便利だったようです。駅の食堂で本場のチキン南蛮を堪能し、13時43分発西都城行の各駅停車に乗車。途中都城駅で降り、ここから1日2本の鹿児島交通バスで県境を越えて生家最寄のバス停まで行くことにしました。
バスは1日2本。今年のダイヤ改正で土日運休

バスは1日2本。今年のダイヤ改正で土日運休

バスは日豊線沿いの県道を経由

バスは日豊線沿いの県道を経由


 幼稚園時代の夏休みに祖父通院に連れられて乗った記憶がありますが、この年は仕事で忙しい両親が、代わりに私を飛行機で鹿児島に単身送り込みました。初めての一人旅で機上でおもちゃをもらって喜んでましたが、今思うと私にかなり無茶なことをさせていたものです。父は15歳で親元を離れたことも影響があるのか、どうやら両親の帰省命令には逆らえなかったのが真相だったようです。

 さて、丸1日かけて父の生家に到着したものの、そこには何もありません。父の兄弟は全員当地を離れ、それぞれ相続した土地が残り、さらにそれを私が相続しましたが、山林、田、住宅の跡地は上記5歳一人旅の際に祖父と歩いた記憶が残るのみです。収穫した大根を手押し車に積みその上に乗せてもらったこと、牛小屋で餌の藁をあげたこと。新品の耕運機を田んぼまで引いて歩いたこと、断片的に45年前の記憶が蘇ります。鹿児島市内に住む大工の従弟が時折手入れをしてくれているので、未利用地ながらそこまで荒れ果ててはいません。と思っていると、いきなりウリ坊の兄弟が猛スピードで田んぼの反対側を駆け抜けていきました。実際の農作業は獣害もあり生易しいものではないことを実感します。

相続した休耕田、イモリが取れます

相続した休耕田、イモリが取れます


 当地も過疎化が進み中学校は数年前に閉校となり、父は車いすで母に付き添われ閉校式に参加しました。現在は「森の学校」という複合施設になっていますが、Gotoトラベルも使えるとのこと。せっかくなので予約電話を入れてみましたが、宿泊は2名様以上とのことでまたの機会となりました。
父の母校中学、今は「森の学校」

父の母校中学、今は「森の学校」

また当日夜は鹿児島県内に住む親せきと会う予定でしたが、折しもコロナ感染爆発が報じられたタイミングで、看護師の従妹から訪問自粛要請が寝台車の中に届きました。
 現地確認を終えて大隅大川原駅に向かう途中、「36 ぷらす 3」の折返し回送列車が通過するのが見えました。
36+3回送

36+3回送が大隅大川原を通過

36ぷらす3は1週間で九州を一周するリゾート特急で、1か月前に運行開始されたばかりです。この日はちょうど鹿児島中央から宮崎までの運行日でしたが、当駅は唯一の停車駅に選ばれており、駅前広場にはイベントの雰囲気が残っていました。

あすはいよいよ18年ぶりのマネジメント研修です。続きはこちら