ご報告の通り、賃金の不払いを発見したことから、期せずして「秋季賞与」を支給しました。元々払わなければならなかったものではありますが、やはりいざこのような事態に直面すると、色々なことを考えます。最初に思い浮かんだ言葉は、「水曜どうでしょう」の企画「絵はがきの旅2」で大泉洋さんがお父様から掛けられた名ゼリフ「何とかインチキできんのか?」でした。

 当社の給与計算は、創業当時は母が算盤で、私が小学生の頃は電卓で毎月計算し、私も社会保険料額表や源泉徴収税額表を見ながら検算を手伝っていました。算数が得意だったのも、この経験が大きかったと思います。その後、嫁が第一子の出産退職後に経理を手伝うようになりExcel化、さらに職場意識改善助成金を利用して給与ソフトを導入して計算ミスはなくなった、はずでした。
 ところが、時間外手当の大元となる割増基礎単価の適否は長年省みられることなく、給与ソフトの初期設定でもこの設定項目は全く目に入っていませんでした。母曰く「昔、勉強会で『基本給より手当てを増やすことで残業代が抑えられる』と習った」そうですが、その言葉がどう独り歩きしたのか、今となっては真相は分かりません。ともあれ、元業務系ITコンサルタントとしては、自社のBPR(Business Process Reengineering =事業再構築)に抜けがあったこと、反省しきりです。

 今回の件は、給料をもらう側だった時代にも苦い思い出があります。同僚が自殺し、労働環境の問題点が指摘される中で、私が「名ばかり管理職と」と認定されました。ところが会社はその辻褄を合わせるため、給与が「管理監督者の固定給」から「固定残業含む」と一方的に変更されました。明らかな不利益変更であり抗議したものの受け入れられず、最終的に司法の場で解決するに至りました。

 当時と完全に逆の立場に直面した今、自分の度量が試されていることを痛切に感じながら、事実報告と支払承認のため、臨時取締役会を招集しました。
といっても、当社の取締役は3名。母、私、そして今年7月末の株主総会で新たに選任された皆川さんです。皆川さんは勤続18年。現在は防犯カメラ、公共入札などを担当し、当社では中堅職人であると同時にプロデューサーとしての立ち位置です。また自動車整備工の経験があることから社有車管理も統括しています。
minakawa
 父が亡くなり、母も年を取り、やはり当社の現場を熟知した人が会社の意思決定を行うべきと考えて取締役を委嘱しました。また、建設業法では5年以上の取締役経験を有する経営管理者の配置が必要ですが、以前当社の取締役は父1名であり、病気発覚で慌てて母と私が取締役に就任しました。この経緯もあり、いざというときのバックアップのためにも早期に社員から取締役を選出する必要を感じていました。

 企業規模の大小にかかわらず、取締役の責務は会社を正しい方向に導くことであり、日々の業務執行とは別ものです。取締役は株主の負託を受けて受託者責任を果たしますが、具体的には善管注意義務(会社に間違ったことをさせないこと)と忠実義務(自分のために会社に損をさせないこと)が課せられます。受託者として会社が正しく運営されているか常に確認し、今回のように間違いを発見した場合、それを正しく直し、会社の立場で頭を下げ、今後同じ間違いを発生させないように対策を講じなければなりません。これは、私自身は不動産投資ファンドアセットマネージャー時代に金融商品取引法が施行された際、コンプライアンス研修等で叩き込まれた内容でもあります。

 今回、皆川さんは以前の残業代をもらう立場と、会社取締役として支払う立場の両方にいます。状況を説明し、労働局担当者と顧問社労士の見解(善後策)を伝えたところで意見を求めたところ、「払ってスッキリしましょう」。続いて支払金額を見て「ハイエース1台分まではないですね」。さらに、後日法定福利費を含めた特別損失計上額を見て「法定福利費は結構大きいですね。本当にハイエース1台分になりましたが、皆で稼ぎましょう。」 これが、皆川さんの取締役初仕事になりました。

 現在、事業承継が大きな社会課題になっています。7年前、父も「任せられる社員がいない」と嘆き、私に助けを求めました。多くの高齢創業者オーナーは父のように事業をを引き継ぐ術と覚悟がないのかもしれません。私としては、会社を任せられる生え抜き役員が社内で育ち、父ができなかったことを一つ片付けられたような気がします。