いよいよ4月から、我が建設業にも所定外労働時間の上限規制が課せられます。いわゆる働き方改革関連法については、他の業界では5年前(中小企業は4年前)に施行されていましたが、①工作物の建設の事業②自動車運転の業務③医業に従事する医師④鹿児島県及び沖縄県における砂糖を製造する事業、は適用猶予を受けていました。その理由として、厚生労働省は「長時間労働の背景に、業務の特性や取引慣行の課題がある」ことを挙げていますが、では猶予期間があれば適応できるのか。宿題と同じで、守れない〆切は延期されても同じでしょう。
 そもそも、「取引慣行の課題」を時間が解決してくれるわけがありません。下請建設業は特定業務に特化していることから顧客開拓が難しく、特定顧客に依存しがちな業態です。工種は建設業許可業種で29を数えるなど細分化され、それぞれの取得には技術資格や実務経験などの人的要件が課されることから、安易に他工種には進出できません。また、施工には高額な専用機器が必要で多額の設備投資も必要となるため「単品商売」となりがちです。さらに、新築など大規模現場では全体工程の一部に組み込まれ、工事担当者は会社ではなく元請の指示に従います。このため、当社のような下請建設業は元請に唯々諾々と従うことが最も「コスパが良い」と本気で考える経営者が多数派です。仕事を断れば「次がない」と匂わされると無理をしてでも請負わざるを得ず、逆に元請が働き方改革推進の手段として下請へ業務を転嫁し、結果として下請の業務負荷が高まるという笑えない事態も生じています。
 一方、残業する(法律上はさせられる)側の感覚はどうでしょうか? 少なくとも当社では、創業当時からの父のマインドを引き継ぎ、仕事がある限りプライベートを犠牲にしても引き受けるのがプロ意識であり、美徳です。特に、元請の担当者様から当社担当への直接依頼は個人的な信頼の証であり、会社の都合とは関係なくその場で応諾していました。このような状態では企業としての労務管理は成り立たず、労働時間は際限なく増えていきますが、誰も意に介することはありません。もちろん残業代が稼げるという金銭的理由もあるでしょうが、むしろ、休みは自分が必要とされていないという疎外感にとらわれるようで、感覚的には(テレビで見る限り)芸能人に近いかもしれません。ちなみに私が事業承継する直前には現場で個人請けする「闇営業」も発覚しましたが、父は病状悪化でそれどころではなく、母は見て見ぬふりという、中々混乱した状態でした。
 ここにサラリーマンから転じた私が入ってちょうど10年経ちますが、工事担当者のマインドが変わったかというと、自信はありません。一社下請時代、工事割当は完全に元請次第で、文字通り生殺与奪を握られていました。キャパシティ以上の工事が来たときは全員が昼夜区別なく働き、逆に人数分の割当がない時は担当者間で仕事の取り合いになり、新入りが事務所でお茶を挽いていました。当時は日給月給制で有給休暇も明文化されていなかったため、稼ぎにも直結していたようです。この状況を抜本的に打破すべく「全員が複数の顧客を持つ」をスローガンとして一社下請を脱しましたが、一方で担当者はこれまで以上に仕事を自由を請けやすくなりました。予定表にはいつの間にか休日工事が書き込まれています。
 これに対し、最近入職した若手社員は、世間一般に倣いお金より時間を優先しています。休日工事がある場合はあらかじめ振替休日を確保し、現場が早く終わった日は早帰りによる時間振替を励行します。振替手当もあるため金銭的に不利になることはありません。
 一社下請を脱すべく大規模新築に進出した当時は現場で長時間労働が続き、早期退職者が発生したこともありました。特に新築現場では当社が担当する弱電工事は最後となりますが、往々にして全体工程は遅れます。そして元請からは工期死守の帳尻合わせで毎度のように無理を強いられますが、当社責任者である職長は現状を受け入れこれに応えるものの、若手は作業の終わりが見えない中で延々と機器を設置し続けて疲弊し、心が折れました。これに対し、現在は職長の労務管理について所定外労働時間の定量評価を行うとともに、個別案件についても受注稟議による事前申告と現場賞与という「アメとムチ」を取り入れました。そして現場では「会社に怒られる」という言い訳を使ってもらっています。会社としても場合によっては元請に対し契約レベルで交渉する必要がありますが、ここは個人的に前職で鍛えたスキルでもあり望むところ。ここまでできて、初めて就業するに値するまともな会社になったと胸を張れるようになりました。
 と、きれいごとを言っても、この仕事はやっぱり手が覚える技能労働職。習得までは一定の修行時間も必要です。同じく技能習得が必要な研修医の残業は「集中的技能向上水準」として年間1860時間まで可能とのこと。電気工事士にはここまで必要ないでしょうが、ほとんどの関係者は「働き方改革で職人が育たなくなる」と思っているようです。
 それでは、今後当社のような技能労働者を従業員として抱える小規模建設業者は、どのような方向に進んでいくでしょうか? 講演会などでは国土交通省担当官から「職人は独立すればよい」という示唆が発せられていました。確かに、当人は自己責任で働きたい放題であり、当社も本来は父が倒れた際に工事担当者が各自独立することが理想的でした。しかしながら、一人親方といえども電気工事業法など事業主としての法的手続きが必要であり、この煩雑さに打ち克って独立を目指すようであれば、早々に独立していたはずです。さらに、別途業界で問題とされる多重下請構造を強化することが忘れられているように感じられます。

国土交通省パンフレット 「みんなでめざすクリーンな雇用・クリーンな請負の建設業界」

国土交通省パンフレット
「みんなでめざすクリーンな雇用・クリーンな請負の建設業界」


 また、一人親方は今後働き方改革の制約下で弟子を育てる気にはならないでしょう。現場で自分の作業を差し置いて教える余裕があるはずもなく、「見て覚えろ」から始まり「手元(作業補助)」として段取りなどを覚えていきます。これに今後労働時間規制が適用されると「働き放題」の親方よりも労働可能時間が短くなり、ノウハウ伝授も難しくなります。
 新規入職者も、はたしてこのような労働環境下で働く気になるでしょうか?ただでさえ3K(危険、汚い、きつい)と呼ばれる職業。特に、電気工事業は国土交通省調査でも「45歳で現場作業は体力的にきつい」とされています。同じく国土交通省では建設業で新3K(給与・休暇・希望)を掲げていますが、従前型の職人がいる限り、発注者は工期、価格について合理的な選択をします。こうして「そして誰もいなくなった」状態が、意外と早くやってくるかもしれません。例えば自分や自分の子どもを建設技能労働職に就かせても良い、と考える方はどのくらいいるでしょうか? また、当社に採用求人案内のテレアポを掛けてくる数多の人材紹介業の担当者は、人手不足の当業界に自分が入り手に職を付けて稼ごう、という気にはならないのでしょうか? それが答えでしょう。
「ダーウィン事変6巻」より ©うめざわじゅん、講談社アフタヌーンKC

「ダーウィン事変」6巻より©うめざわじゅん、講談社アフタヌーンKC


 個人的には、本当に現場が回らなくなって、初めて新たなスタートラインに立てると感じています。先行事例として、旅客交通業の運転手が致命的に減ったことを契機としてライドシェアが始まりました。二種運転免許の問題もありますが、自動車の運転自体はほとんどの人ができます。同様に、日本人は小中高の理科で電気を、技術科で施工の基本を学び、日曜大工を趣味とする人も相応にいます。建設業でも手仕事が多分に残されています。大阪万博で工期が間に合わないことが問題となっていますが、本当に必要であれば、今からでも参加企業の従業員が技能を自ら学び、現場で手を動すことから始めてはいかがでしょうか。これを経ることで、真の意味で「職人=プロ」というリスペクトが成り立つのかもしれません。