コロナ禍、いよいよ大変なことになってきました。12年前、不動産投資ファンドのアセットマネージャーとしてリーマンショックの爆心地にいた身としては、どうしても当時と重ね合わせてしまいます。今回は集会や移動の制限という実体経済から始まっただけに、事態はより深刻であると個人的には感じています。従業員の外部研修やメーカーの展示会なども軒並み中止となっていますが、おかげ様で本業の工事は通常通り継続しています。大規模新築現場に入る担当者曰く「屋外は大丈夫。むしろ電車で移動する宮下が怖い」とのこと。私も気を付けなければいけません。

 そんな中、国際武道大学水球部監督の土居先生から卒論発表会のお誘いがありました。テーマは水球審判の評価に関するものとのことで、発表者は学生レフェリー。就職後も審判活動を継続したいとのことで、昨年土居先生を通じて当社就職の打診があった本人です。私自身は当社承継後水球とは縁遠くなっていましたが、これを機に採用面接を兼ねて大学の練習で一緒に笛を吹き、昨年は数年ぶりに高校生の公式試合も担当しました。その後インターンも経て両立の目途が立ち採用内定を出したものの、最終的に「オヤカク」で辞退。まだまだ当社は勤め先として親御様を安心させるには至らないようです。。
さて、当日は午前中に業務を片付け、車で大学のある勝浦市に向かいました。卒論発表者は1名のみの特別審査! 「球技レフェリーSummit2」と銘打ち、ハンドボール、ラグビー、サッカーのトップ審判でもある同大学の先生方や、同大学OBでオリンピックにも参加した現役水球レフェリーも審査に加わります。実は同じメンバーで昨秋にも「球技レフェリーSummit」が行われ、レフェリー談議に花が咲きました(当社はそこで内定を出しました)。ちなみに、大学本部からはコロナ休学期間中における部外者の学内入構に難色を示されたようですが、オブザーバーとして参加させていただきました。大講義室で間隔を空けて着席するなど、相応の対策は講じています。

卒論発表

卒論発表


 学生による発表を肴に、プロ同士の熱いレフェリートークが繰り広げられます。中でも、ハンドボールの清水先生は、私自身が現地会場で生観戦した1997年熊本世界選手権を担当された、私にとって「あこがれの人」。四半世紀を経てこうして直接お話を伺えることに感無量です。しかも、以前は授業として「球技審判法」という講義もされていたとのことで、曰く
「レフェリングとは、運動によって心拍数が上がっている中で冷静な判断が必要とされる、それ自体がスポーツ」
「レフェリーの面白さは、最高の位置で試合を観て、かつ笛でそれに参加できること。種目は関係ない」
「レフェリーはうまく裁いて当たり前、感謝されることはない。一回でもミスすると両チーム、観客からクレームを受ける。これが改善されない限り、レフェリー志望者は増えない」

 まさに我が意を得たり! 昭和が終わる高校2年生当時、図書館で「オフサイドはなぜ反則か」という本を見つけてスポーツの競技別のルールとその背景について興味を持ち、著者の広島大学松岡教授に手紙で質問までしていた私は、大学の進路を模索する中で「比較スポーツルール学」のようなものを探していました。日体大で飛込選手だった水泳部恩師にも相談もしましたが、友人や両親からは就職まで考えるように諭され、結局は高校3年生の時放送大学のテレビ講義で見た東工大の都市計画に進みました。そんな想いが去来し、思わず「武大に入ればよかった!」と叫んでしまいました。

 時間いっぱいまで盛り上がり、卒論は本人そっちのけながらもとりあえず合格。土居先生には、私に対しても「プールサイドに行けずとも水球に関わる方法はある。」と今なお気にかけていただき、感謝の念に堪えません。帰りがけ、水球審判仲間に「そろそろ復活しようかな」と声を掛けたところ、「まずは練習して」。そう、種目問わずすべてレフェリーは選手の公式戦に掛ける情熱と練習の成果を受け止めるだけの準備が必要不可欠です。そのため、人生において審判活動を最優先し、何とか時間を捻出して各所属や代表チームの練習に参加しています。それに対し、私は中小企業診断士登録後の土日は診断士活動に時間を取られ、リーマンショック当時はそれどころでなく、当社承継後に至っては完全に足が遠のいてしまいました。仕事では経営者として現場から離れていますが、水球に対しても「現場外」で何らかのご恩返しできればとの思いを新たにしながら、房総半島縦断の帰路に着きました。