早いもので、父の死後2か月半が経ちました。

父の死後は会社、個人ともに様々な手続きが必要で、まだまだ続いてます。
その一方で、企業活動は継続しており、こちらは淡々と続いています。

 父は入院当日まで出社していました。静かになった事務室で、改めて当社は父が創り、父は当社が生きがいだったことを実感しています。そこで3か月ぶりの喪明けブログネタとして、父が残した「足跡」をご紹介いたします。

宮下国男ロード~歩道拡幅工事中

宮下国男ロード~歩道拡幅工事中

 現在、本店(実家)と資材倉庫(事務所)間の道路で歩道設置のための拡幅工事を行っています。ここは、父が病気で車を運転できなくなってからの徒歩通勤路です。当時、抗がん剤の副作用もあり認知症症状が著しく、到底車を運転できる状態ではありませんでした。そこで通勤車を手放すこととしましたが、「生活の足」を取り上げれらた本人は納得しません。千葉市は千葉駅を境に「電車文化圏(街中)」と「自動車文化圏(田舎)」に分かれますが(独断)、自動車文化圏住民の父にとっては自由を奪われる人格否定にも感じられたようです。特に事務所は最寄駅から3㎞、最寄りバス停は1日8往復のみで自宅とは別方向に向かいます。当初はことあるごとに「車を買いに行く!」と言い張っていましたが、しばらくすると自宅まで3.5㎞の道のりを歩きだすようになりました。大型車が行き交う(大型貨物車通行禁止なのですが)狭い市道をフラフラ歩く姿はまさしく徘徊認知症老人。母も「事故に遭ったら運転者に迷惑がかかる」と止めましたが、全く聞く耳を持ちません。
 ところが、肺炎で入院し抗がん剤の服用を停止したところ、みるみる元気になっていきました。そして元気に歩き、意識も明瞭になり、Suicaを使いこなして自由に外出し、表情も穏やかになってきました。母をはじめとする家族や社員も、最後にいい思い出をもらいました。そしてこの「徒歩通勤」は、昨年初冬の寒さが厳しくなる頃まで続きました。

 道路は今年度中に完成するでしょう。しかしながら、父がここを歩くことはありません。それでも私は、この歩道を「宮下国男ロード」と呼びます。歩道が完成したら、改めて父の足跡を辿るつもりです。