前回から続く
私が入学した当時の東京工業大学(現 東京科学大学)は「類」と呼ばれる学科群単位で入学し、1年次の成績順で2年から希望学科に進みます。私の6類は建築、土木、社会工学がありますが、私は必要単位を取得できず、一番人気薄だった社会工学科に仮進級となりました。希望学科だったので結果オーライですが、ふたを開けると同期の約2割が仮所属でした。
入学後1年間の生活を見つめ直したとき、ふと「浪人して予備校に通うのは、他人に時間管理をしてもらうため」という高校1年担任教諭の話を思い出しました。入学前後に水球部に誘われて断った後、特に目標もない怠惰な生活に一因があるような気がしました。今後も漫然と学期中を過ごし、親の言いつけに従い春夏休みを現場で家業に費やす学生生活は本意ではなく、今年こそ落せない自然科学の一般科目(数学=微分積分、線形代数、理科=物理、化学)もこのままでは危うい気がしました。
結局、自分は部活を離れなお意識が水球中心だったことに、改めて思い至りました。私の高校水球部同期のうち5人が東工大に進学しましたが、1年早く入学した現役合格2名は情報、電気の分野でそれぞれ学問を究め、35年経った現在は両名とも大学教員を務めています。また、一浪合格の同期2名はサークルなどで学生生活を謳歌しています。それに比べ、大学で前に進めていない自分にもどかしさを感じました。私が入学時に水球部の練習に参加した感想を「高校と同じく4月から外プールで週6練習らしい」と話した時、皆一様に「その生活は高校で卒業」との反応でしたが、この時自分の気持ちに気付いていればすっきりしていたかもしれません。
4月初旬、意を決して先輩に頭を下げ、改めて競技者としてプールに入れてもらいました。初日の水温は16度。戦時中は潜水艦の水圧実験槽だったとの逸話が残る屋外プールは水深3.5mで、春になっても中々水温は上がりませんが、腰洗い槽にお湯を張り風呂とすることで体温回復が図れました。各部員とはこれまでもレフェリーとして顔を出してたことから全員顔なじみですが、再入部という形で4年生から紹介いただき、「死ぬ気で頑張ります!」と挨拶をし、入部を許可いただきました。
泳げない!
ところが、いざプールに入ると、全く動けません。ウォーミングアップのパス練習でも巻き足(立ち泳ぎ)がすぐに限界を迎え、対人練習では最初の1プレーで心臓が壊れるかと思うくらい息が上がります。ゴールデンウイークには他大学との練習試合もありましたが、高校時代の私を知る他大学の同期は首まで沈んで泳げず騒ぐだけの私を見て「あんなに下手だった?」と呆れていた、という声も耳にしました。
昨年の仮入部でも味わった大学レベルの「強さ」に対応できないというより、自分自身の体力の衰えを痛切に感じました。3年生となり春季関東大会を控えた最強世代の高校後輩も練習試合に来ましたが、後輩たちに「練習しないとこうなるぞ!」と無様な姿をさらすこととなりました。考えてみると、高校3年の総体から2年半以上、競技レベルの強度で運動していません。この解決手段はただ一つ、暇を見つけてはプールに行き「とにかく泳ぐ」しかありません。古宮さんからもらったアドバイス「ゆっくりで良いから、止まらず泳ぎ続ける」に従い、60分泳での距離を伸ばしていきました。この心持ちで昨年数学の問題演習をしていれば単位を落とさなかっただろうな、と思いながら左右の腕をかき続けます。
6月に入り、関東学生リーグが始まります。我が東工大は4部制の3部リーグに所属し、6チームが2回戦総当たりで対戦します。高校水球は実施校こそ少ないながらも全国的な進学校が多く、スポーツ推薦がない2部リーグ以下は高校部活を横糸としてつながり、お互い手の内は見えています。目標はもちろん優勝&2部昇格ですが、加えて高校同期との対戦はそれぞれ特別な思いがあるようで、私は試合前日に先輩から「左利き経験者の秘密兵器」と叱咤されました。初戦から交代選手として試合に出してもらいましたが、突然のスタミナ切れに襲われ、大学院生の監督には「溺れる前に自分で交代しろ」と苦笑されました。やがて出場時間も増え、退水誘発やボールスチールなど自分なりに手ごたえのあるプレーもできるようになりました。
最終的に優勝&自動昇格には一歩足りず、2部との入れ替え戦に進みました。相手は成蹊大学、2日連続2試合の合計得点で勝ち越せば2部昇格です。初日は8-8で同点、私も1点取りました。そして2日目、残り1分でまたも同点。ここで相手は「ゴール前に陣取る点取り屋のフローター(センターフォワード)を2人で守り、一番力弱い右サイド(私)を空けてシュートを打たせる」という作戦に出ました。まだ自分のプレーに自信を持てなかった私はパニックに陥り、ゴール前でキーパーと1対1になりながら遠くの4年生にパス。味方から不意を突かれた先輩が放ったミドルシュートは枠から外れ、2試合連続同点で試合終了。規定により3部残留となり、4年生は引退しました。打上げで最後にシュートを外した先輩が痛飲する姿を見て、申し訳なさでいっぱいになりました。
屋外プール
ところで、屋外プールは目黒区と大田区の境にありました。境界には何らかの由縁があるはずで、それに想いを馳せながら境をなぞるようにジグザグに泳いでいました。ちなみに大学の所在は目黒区大岡山2-12-1ですが、本館には今も大田区石川町1-31-1の住居表示プレートが貼られています。また、正門にあった改築前の守衛所にも大田区北千束3-36-1のプレートがありました。では大学の所在地はどこ?住宅地図を見ると、どうやら当時の生協第一食堂(一食)のようです。子どもの頃、テレビか何かで「住所は台所のある場所が基準」と聞いた記憶があり、一食の存在でそれが正しいと当時確信しました。ところが今ネットで調べても、そんな記述は全く出てきません。そもそも関東大震災後の蔵前からの移転当初からここに食堂があったとも考えづらく、今も謎です。なお、屋外プールは東急大岡山駅および学内整備に伴い姿を消し、跡地には旧社会工学科もあった西9号館が建てられています。
©1990ゼンリン版では確かにプールの上を区境が走っていますが、1973年版全航空住宅地図では区境が南にズレていました。さらに見ると、最古の建物とされる大岡山西1号館が1973年全航空では目黒区に、1990年ゼンリンでは大田区に所属しています。最も信頼性の高いはずの住宅地図で境界線が違うため、これ以上の探索は諦めました。なお、1932年東京市域拡張前は現住所の目黒区大岡山が荏原郡碑衾町、本館のある大田区石川町が同池上町、正門守衛所のある大田区北千束が同馬込町、と3町にまたがっていたようです。
このように夏休みも大学水球にどっぷり漬かりました。と言いたいところが、千葉に戻って家業を手伝う約束です。時はバブル崩壊前後、数年前に開発が企画されたであろう国道16号線沿線のロードサイドショップが雨後の筍のように立ち並びます。ここで家業が請け負う機械警備工事は什器搬入に合わせて行う最終工程のため工期もひっ迫し、開業日に追われる突貫工事が続きます。その就業時間は「終わるまで」。昼夜昼と新築現場で36時間連続勤務を行った際は意識がもうろうとして仮設足場に鼻柱をぶつけたこともありました。8月には工場現場での屋外赤外線センサー設置中にハチに刺されて上腕が大きく腫れあがり、病院に駆け込むと1週間の安静。部活に戻ると冷たい視線を浴びました。
そんな感じで秋を迎え後期が始まると、屋外プールは終了。冬は東大屋内プールで一橋大との合同練習がメインとなります。体力も戻ってそこそこ動けるようになり、合間にはレフェリーとして笛も吹くなど面白くなってきたところで、春休みはまた家業。年度末は一番の書き入れ時です。この頃には現場での経験値も上がって一人前扱いされるようになり、今も勤める社員が当時住んでいた木更津事務所2階の寮に泊まり込みました。部活には何とか合宿だけは参加したものの、結局3年進級時に2度目の退部を申し出ました。15歳から精魂込めて続けてきた水球と決別することになりますが、「辞める勇気を学んだ」と思うことにしました。なお、その年のリーグ戦では見事二部昇格。最終戦にはうしろめたさを振り切って会場で応援し、不完全燃焼に終わった自分の競技生活を成仏させました。
あれから30年
今年、卒業生同窓会である燕水会から「関東大学リーグ戦参加に際しチームスポンサーの協賛が必要になった」とのメールが届きました。「OBに経営者や営業系・採用系幹部が多い文系大学を想定しているように思えるが、誰かいないか」。卒業後レフェリーを続けていた経緯で社会人4年目に燕水会への入会を許された私としては、家業で辞めた部活に家業で恩返しするまたとない機会です。広告対象も、屋外プールの落雷対策に有用なPDCEがあります。そこで差し出がましくも広告出稿を申し出て、新たにバナーを作成しました。さらに、その勢いで「スポンサー」を名乗り、家業を継いで初めて関東学生リーグを観戦に行きました。
いざ会場に行くと、本部席には懐かしい審判仲間の顔が並びます。白髪化した十年以上ご無沙汰の自分を見つけ、声を掛けてくれます。また、応援席にはOBとして今も後輩と水球を楽しむ同世代の仲間も来ていました。ただでさえ実験など負荷が高い理工系のカリキュラムに加えて体育会で4年まで競技に情熱を注いだ卒業生は、強い絆で結ばれています。その目から見た学生時代の私は、勝利に向けて意識統一を図る必要がある中において中途半端で迷惑な存在だったことでしょう。現役チームの奮闘を見ながら改めて当時を詫びると、「あれって、今でいう『ダイバーシティ』だったよね。」と意外な返答。今はそれぞれ大企業で管理職として重責を担っていますが、時代は着実に変わっていることを感じました。
水球は要求される体力レベルと経験値が極めて高く、大学下位リーグのチーム力はどうしても経験者数に左右されますが、始めるのは大学からでも決して遅くはありません。とにかく楽しんで、水球を続けて欲しいと思います。
つづく