前回からのつづき
朝、家族が震災復興仮設住宅の寝心地の悪さを堪能する中、私だけが熟睡してスッキリ目覚めました。2km程のところある脇ノ沢駅7時5分のBRTに乗ります。地理不案内につき大人しくタクシーを予約して5分ほどで脇ノ沢駅に到着。県道沿いの坂の途中にあり、実態はバス停です。旧鉄道駅は沿岸部の漁港沿いにあったそうです。「駅」らしくバス接近モニタなどを備えています。また冬の風雪対策でしょうか、アクリルの壁に覆われています。
BRTの乗り方は路線バスと同じですが、それでもJR線、鉄道と通しの切符が買え、途中下車もできます。とはいえやっぱりバス路線。陸前高田駅にはみどりの窓口はあるものの改札口がないため、途中下車印もありません。今回は陸前高田~脇ノ沢をスキップした乗車券を持ってBRTに乗り込みます。30分ほどでJR線BRTの終点、盛駅に到着。ここから先は三陸鉄道です。
三陸鉄道は、岩手県の沿岸部を南北に走る日本初の旧国鉄から移管の第三セクターです。以前は釜石、宮古間のJR山田線をはさんで「南リアス線」「北リアス線」に分かれていましたが、震災復旧の際に三陸鉄道に移管され、一本につながりました。現在は1日1本、盛駅発8時3分の便が久慈駅までの全線を4時間かけて直通しています。これに乗るための早起きでしたが、台風被害により宮古駅から新田老駅までは運休していました。幸い代替バスはあるとのことで、これを乗り継ぎ久慈駅に12時34分着。名物のうに弁当をいただきます。
ここでバスに乗り換え、本日の目的地おおのキャンパスを目指します。元々はJRバスが軽米経由で東北本線二戸駅まで運行していましたが。大分昔に廃止となり、現在は陸中大野まで岩手県北バスが走っています。ご多分に漏れずバスの減便が続き、土日は13時30分発の1本のみ。14時7分、おおのキャンパスに到着です。
岩手県の最北端、九戸郡洋野町は旧種市町と旧大野村が合併して誕生しましたが、おおのキャンパスは大野地区にある道の駅併設の複合施設です。「一人一芸」と銘打った伝統工芸体験やパークゴルフ、星空日本一に輝いたこともある天文台、また夏にはカブトムシ館など14施設がありますが、本日は宿泊施設「グリーンヒルおおの」に投宿します。
チェックインして荷物を下ろして、オリンピック2大会メダリストの有森裕子選手がトレーニングしたというみるくロードを歩きます。そのまま山を2つ越え川を渡り、4km歩いて母方の実家に到着です。
母は3姉妹の末っ子。中学卒業後は集団就職で千葉の定時制高校に進みました。そこで自衛隊勤務の傍ら高卒資格取得のため4年次編入した父と出会いましたが、15歳で上京したと思ったら、結婚相手として鹿児島県人を連れてきて大騒ぎだったそうです。現在実家には長姉である伯母と従兄夫婦が住んでいますが、母曰く「喜寿にしてなお末っ子扱い」だそうです。
林檎さん
ところで、母方の名字は「林檎」。全国でも親族のみ二十数名の珍名ですが、祖父林檎初太郎はこれを活かして生前何度かテレビ番組に出演したそうです。旧大野村会議員や民生委員を長く務め叙勲を受けるなど、地元の顔役でした。
一方、義伯父の林檎孫次郎はアイデアマンでした。私の小学卒業時、開通したばかりの東北新幹線に乗って妹と二人で一週間ほど滞在しました。雪かきなどお手伝いもしましたが、当時伯父は「大工と牛(畜産)」を行っていました。その後、「牛と米」「牛と鶏」など、常に複数の事業を営み、新規事業開発に取り組んでいました。父に比肩する大酒のみで、到着するや否や日本酒を酌み交わし、お互い酔って難しい話をしていました。その後私が当社を継ぐと「社長!」と笑顔と南部訛りで呼ぶようになりましたが、その雰囲気を見て、改めて農業経営者として敬意をいただくようになりました。
その伯父は、父死去の翌年に亡くなりました。従兄とはコロナ禍もあり葬儀以来の再会ですが、お互い跡を継いだ身としてどうしても仕事の話になります。一社下請工事業を続ける父と比べ、改めて「孫次郎さん、仕事の多角化は凄かったよね。今にして改めて尊敬!」と話すと、現在は養鶏を営む従兄は「飽きっぽいんだよ、引き継ぐ方は大変だよ」と期せずして「2代目あるある」で盛り上がりました。養鶏業は年中無休、朝は4時起きです。最後に祖父と伯父に線香をあげ、おおのキャンパスに戻ります。
母は就職時、上京に際しここから当時の最寄りバス停まで5km歩いたとはなしていました。ここが私の「公共交通推し」の原点ですが、今は車社会。このこだわりは都会人の酔狂にしか見えません。帰りは車で素直に義従姉に送ってもらいました。
翌朝は早く目が覚め、久慈駅行朝一番の7時6分のバスに乗れました。平日は1日4本ありますが、ご多分に漏れず高校生の通学に利用されているようです。ここから当初は次男リクエストで地下水族館「もぐらんぴあ」に行く予定でしたが、残念ながら連休明けの振替休日。そのまま9時丁度発盛岡行き「白樺号」に乗車します。この路線は、前述の小学校卒業時妹を連れて下り路線を4時間かけて乗りました。時刻表を見て大旅行を夢想した子ども時代を思い出します。今は道路も改良し、途中休憩回数も減って、所要時間も短く11時45分盛岡駅着。
盛岡市はニューヨーク・タイムズ紙選出2023年に行くべき52か所の2番目に選ばれましたが、私自身初めて街歩きしました。本旅行最後のイベントは、わんこそば。外国人含め大人気で、2時間待って、家族そろって初体験。60杯が標準とのことですが、何とか頑張って100杯食べられました。
腹ごなしに盛岡城址を経由して盛岡駅まで歩き、東北新幹線に乗って帰宅しました。