ここ数年、コロナ禍や子供の受験などで家族旅行には出ていません。特に、母方実家がある岩手県北部はコロナ感染者が極端に少なかったこともあり、ここ数年は人的交流が難しい雰囲気とのことでした。昨年はコロナ禍も明けてやっと、と思っていたところで私が2回目のコロナに感染し、中止となってしまいました。
私の両親の実家は、父が鹿児島、母が岩手。毎年どちらかに帰省していたことから、強行軍の家族旅行が体に刻み込まれています。幼少時には寝台特急や新幹線、飛行機など様々な交通手段を利用し、その影響か就職は鉄道会社になりました。その後、高速道路網整備につれて自動車での帰省が増えました。盆暮れの最終勤務日に母が作業車内の工事道具を下ろして布団を引き、即席寝台車に仕立て上げます。都内の渋滞を避けるべく翌朝4時に出発し、鹿児島まで1600kmを寄り道なしで20時間、最初は母が運転し、父と交代で休まず進みます。その間、私は助手席でナビゲーションを続け、鹿児島到着時にはフラフラです。時差ぼけ状態で2~3泊し、治まった頃に帰路に着いていました。
一方、母方実家までは8時間の近さです。といっても冬、春休みは積雪も懸念されることから、お盆休みが通例でした。母曰く「時季外れは本家(姉)に迷惑をかける」とのことですが、今年は家族都合でタイミングが合わず、その代わりに9月3連休と次男の高校文化祭振替休日を利用した、実家を目的地とする家族旅行を企画しました。初めて岩手県沿岸のリアス式海岸を公共交通機関で回る、3泊4日の乗り旅です。
この経路でまず外せないのが、昨年東工大(現 サイエンス東京)を定年退官した恩師中井検裕先生が震災復興を手掛けた陸前高田。丁度今春、社工会(社会工学科同窓会)で講演をお願いしたこともあり、是非このタイミングでこの目と足で体感したいと思っていました。他には水族館、わんこそばなどに加えてもう一カ所、歴史モノとして「平泉」「松島」が候補にあがり、松島がリクエストされました。
当日、次男の帰宅に合わせて最寄り駅から東京駅に向かい、東北新幹線で仙台へ。そこで仙石線に乗り換え、松島海岸駅に21時半過ぎ着。直前キャンセル待ちで確保したリゾートホテルに宿を取ります。
私にとって当地は高校3年の現役受験時以来です。東北大学の理学部地理学科を受験しました。受験申込間際で見つけた社会工学科のある東工大第6類は望むべくもなく、こちらも「あわよくば」の記念受験でしたが、英語の問題で「beast」の単語が出てこなかった時点で諦めました。とはいえ失意のまま帰路に着くのも癪だったので日本三景を拝みに仙石線に乗り込んだところ、電車にはご同輩が多数乗り合わせていました。
翌朝は早めに起きて小雨の松島を観光。松島海岸駅から再び仙石線に乗り、隣の高城町駅で仙石東北ライン特別快速で石巻駅へ。さらに石巻線で前谷地駅を経由し気仙沼線で柳津駅に到着。ここから先は震災後鉄路としての復旧を断念し、線路跡地をアスファルト舗装した専用道路をBRT(Bus Rapid Transit)が走ります。一部市街地も走行できることから利便性と定時性を両立できるようですが、速達性はやはり鉄道に分があるようで、BRT気仙沼駅までの2時間弱をバスで揺られます。
ここでさらにBRT大船渡線に乗り換えて、陸前高田を目指します。
途中、津波で被災し鉄骨のみを残した旧南三陸町役場の震災遺構などを経由し、バスは高台に登り新興住宅地の陸前今和泉駅(バス停)に差し掛かりました。
陸前高田市はリアス式海岸にある広田湾の奥部、気仙川河口部の平地に市街地が広がりますが、津波被害が著しく、震災後は低地部での居住を禁止しました。一方で、市街地全体を約10mの盛土でかさ上げして新市街地を作りましたが、必要な土はここ今泉地区の山を切り崩して調達しました。土は通常ダンプで運びますが、それでは9年かかるとのことで、全長3kmベルトコンベアー「希望のかけ橋」を設置しこれで一気に運ぶことで、1年半で完了させたそうです。そしてその跡地となる今泉地区にニュータウンを造成しました。今回訪れたところ空地も多く、一部ではオーバースペックに対する疑問も呈されているようですが、「これからの発展に期待」というところでしょうか。人口減少と少子高齢化の時代においてコンパクトシティの重要性は論を待たないところですが、「復興計画は災害前に策定してこそ役に立つ」という中井先生の言葉が反すうされます。
今泉地区はバス車窓から見学し、2時半過ぎにBRT陸前高田駅に到着。かさ上げした新市街地ににあり旧鉄道路線とは関係ないバスターミナルですが、JRの市中心駅ということでみどりの窓口もあります。ここから先は予習した図書復興・陸前高田 ゼロからのまちづくりをもとにめぐりますが、著者でもある大学の恩師中井先生の「徒歩では厳しい」というアドバイスに従い、駅前の観光案内所で電動アシスト自転車を借りました。まずはバス路線を1つ戻って高田松原津波復興祈念公園を目指します。眼前の巨大堤防を上り、植林された松原を通って海から堤防を眺め、次男は磯で生き物観察。
また、復興シンボルとして奇跡の一本松が有名ですが、海沿いにあったユースホステルが防波堤となり津波の直撃を免れたそうです。祈念館は道の駅が併設されており、土産や飲食店としてもにぎわっていました。
帰りは標高差10mの坂を自転車で上って盛土を体感し、途中の発酵パークCAMOCYで一休み。ここで残念ながら予報通りの雨が降り出し、ここから先は一人で雨中サイクリング。昔の横浜や千葉にもあった「造成したてのニュータウン」的な雰囲気を感じながら坂道を上下しました。
夕食は中井先生お奨めの広田湾で焼き牡蠣を堪能し、後は寝るだけ。今日の宿は3.11仮設住宅体験館。廃校となった小学校の校庭に建てられた震災復興仮設住宅の一部を宿泊体験施設として利用できます。室内には当時の生活状況の説明書きもあります。
寝床は薄いフローリングに布団を直敷き。この環境で何故か私だけがで思いっきり熟睡できたようで、翌朝スマートウォッチの体力表示が購入して初めて100を表示していました。
つづく