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3月最終週は、千葉市資産経営推進委員会がありました。市民委員として昨年7月で2年の任期を終えましたが、行きがかり上もう1期務めることとなりました。2期目初年度の令和6年度は行政的に大きなイベントもなく、年度末1回のみの開催です。議題も年次報告のみですが、事前に通告されたテーマの一つに「建設コストの増大と対応」がありました。
委員は学識経験者5名と私を含む市民委員2名の計7名。私の自己紹介は「美浜区在住、緑区在勤、実家は若葉区で出身高校は中央区、息子二人は稲毛区の高校に通学」といういつもの口上ですが、留任された各委員や事務局である資産経営課の皆さんとはすでに面識があります。私の素性も知られており、早速委員長から受注者として人手不足と働き方改革の時代における建設コスト削減について意見を求められ、当社の実情とそこから発注側がどう見えるかを披露しました。
続いて、管理費用抑制の先進事例として国土交省「第6回インフラメンテナンス大賞」特別賞を受賞した明石市の「市有資産包括管理業務委託」が紹介されました。
これが実現された場合、当社は包括管理会社の下請になる構図です。
昔取った「資産経営=アセットマネジメント」という杵柄を振るうつもりだった本委員会で、「下請集約化」という本業における外部環境上最大の脅威を突き付けられました。事業承継後から11年、言葉にするのもためらう程の一社下請苦境から脱出する道しるべとして公共事業受注を推進してきましたが、この経営戦略自体が否定されたようで、しばらく固まってしまいました。
市民委員として意見を求められましたが、思わず「親から小規模下請企業を引き継いだ当事者として、下請多重化による中抜き拡大を懸念する」旨の反対意見を述べました。事務局による国の先進事例紹介を真っ向から否定する形になりますが、図の末端にいる「忘れ去られた者」として、黙ってはいられません。
弱い者達が夕暮れ さらに弱い者をたたく
先日、国会でTHE BLUE HEARTSの名曲「TRAIN TRAIN」の一節が読み上げられたことがニュースになりました。行政文書にそのまま引用されたそうですが、この曲のリリースは私が高校2年のどき、毎晩酒で下請の辛酸を飲み込む父が目に浮かびました。
そこから脱出すべく、大企業の総合職に進みました。新入社員は専用寮に入り1年間の研修生活です。その間の業務は駅、車掌、運転手、ファーストフード、ガソリンスタンド、ホテル、クレジットカードの街頭募集のうち3カ所をローテーションで1年数ヶ月配属され、キャッシュフローの源泉としての現場を経験します。これを終えると本配属ですが、二十数名の同期ほぼ全員が本社に勤める中で、私の配属先は商業施設の現地事務所でした。日々売上に追われる店長の皆さんと本音で対峙しますが、たまに本社にお使いに行くと「こんな大人にはなりたくない」と思わせる偉い以上に偉そうな一部の上席者と、それに従い上から目線で社内外にムチャぶりする様子が目に入ります。やがて来るであろう宮仕え人生に疑問を感じるようになりました。
このタイミングで父から家業に誘われ、鶏口牛後とばかりに一旦家業に入るものの、中小企業大学校後継者コースで我に返り、再就職しました。選んだ先は当時勃興期の不動産投資ファンドで上場間もないベンチャー一番星。父からは「虚業」とののしられましたが、当時不動産と金融の融合が謳われ、それぞれの業界から腕に覚えのある転職者が同社に集う中で、そのどちらにも与せず不動産開発、賃貸業の計数管理や業務システム構築の「職人」として自分の腕をふるえる場所でした。
ところが、数年経つと業界の高年収が喧伝され、これに誘われた新卒者が押し寄せてきます。現場から離れた上流ほど金銭的に稼げるのは確かですが、そこで働く者が提供できる付加価値は何でしょうか?いつしかアセットマネジメント部の業務分掌は「プロパティマネージャーへの指示」と定義され、実務と離れた伝言ゲームが仕事になりました。いまはこれにブルシットジョブと名前が付けられていますが、契約上従わざるを得ない「弱い者たち」は「さらに弱い者を叩き」ます。そして伝言ゲームの列は常に長くなり、末端まで届く金額は目減りします。その上内容は伝言ゲーム故に微妙に変わりますが、その帳尻合わせは「さらに弱い者」による無償奉仕です。
この構図は、経済アナリスト森永卓郎氏の遺作となる絵本バブルが村にやってきたにも分かりやすく書かれていますが、では、当社を含む小規模下請側にまったく非がないかというと、そうと断言もできないようです。
(つづく)