クイズ番組「アタック25」が9月末を以って46年間の放送を終了しました。当社の設立直前、私が幼稚園児の時に始まった超長寿番組でした。
自己紹介の通り、私も2005年に出場しました。当時、霞が関ビルで不動産投資ファンドのアセットマネージャーとして働いており、「勤務先:クリード不動産投資顧問、趣味:水球審判」と紹介されました。時は正にファンドバブルの急成長期、母体の「クリード」は東証2部から東証1部に指定替えされた直後で投資銘柄として注目されており、放送1時間後にはyahoo株式掲示板で「今アタック25に出てた宮下賢一という男、ここの社員?」という書き込みが現れました。翌月曜日は株価が6%上昇し、出来高が倍増していましたが、その多くは私のおかげでしょう。と言いながら、広報担当には直前の金曜日に出場を報告したため、褒められる代わりにお小言を頂戴してしまいました。
さて、アタック25に出場するためには、その予選を突破しなければなりません。具体的には、次の段階を踏むことになります。
①はがきかインターネットで申込
②抽選に当たると予選会場で筆記試験&アンケート(自己PR)記入
③筆記上位者のみ筆記試験会場に残ってディレクター面接
④合格通知を受領したら最長1年間待機
⑤大阪の朝日放送で1週4名が本選に参加
私は予選3度目で本選に出場できました。一度目は大学4年生の時、筆記は突破したのですが、③面接で落ちました。前の方はウルトラクイズ準優勝者、その前は気象庁勤務で桜の開花予想担当という壮大な話に委縮し、まともに喋れませんでした。面接は就職活動で鍛えられていたつもりが、社会人と学生とはレベルが違うと痛感した思い出があります。
その後2回目は筆記、面接は突破したものの、④で1年間お声掛からず。そして3度目、初職の東京急行電鉄(現:東急)を辞めた後で「趣味は旅行、会社を退職して世界一周してきましたが、(当時の優勝旅行先の)モンサンミシェルには寄らなかったので、優勝して改めて行ってきます!」とアピールし、ついに参加できました。
そして本選、いざ大阪朝日放送へ。まずは出場者4名と当時司会の児玉清さんが顔合わせです。実物の児玉さんは本当に背が高くてかっこいい!まさにダンディという言葉そのままでした。その後、フロアディレクターからルールや注意事項の説明を聞きます。正味放送時間17分のほとんどが解答者の顔面アップになるとのことで、何より「ゲームですから、深く考えずに楽しんでください」とのこと。毎回出場者4名のレベルが合うようにキャスティングするそうですが、猛者の集まる会では不利なパネルのタイミングで誰もボタンを押さないことがままあり、結果「時間切れ打切り」に至ったことも何度かあるそうです。
その後、TV局のプロによるメークアップも初体験し、解答席に座って収録開始。観客席では身重の嫁とお腹の中の長男が見守る中、沢木美香子さんによる出題に耳を澄ませます。早押しボタンは解答席の左右にあり、左利きの私は左ボタンを使用しました。水球仕込みの反応速度で押し勝ちますが、調子に乗って「ここで解答すると不利」というタイミングでも解答してしまい、以後角が取れない苦しい状況が続きます。そんな中で途中3問連続解答したとき、更にあと2問連続解答できる気になってしまい、その勢いで「24番!」と叫んでいました。その一瞬、会場が水を打ったように静まり返ります。明らかに「パネル、やっちゃったな」という空気が流れかけた時、フロアディレクターが力強く拍手して、エールを送ってくれました。
そして佳境はやはりアタックチャンス。このタイミングで休憩が入りますが、ここで「生き字引」という初代プロデューサーが登場し、作戦をアドバイスしてくれます。そして再開。児玉清さんの「アタックチャーンス!」も目の前で見たはずですが、収録中はそれどころではありませんでした。最後は苦手な文学歴史の問題が続き、バタバタとパネルを返されます。当日の放送タイトルは「ほかの人がっかり!?」でしたが、私はがっかりの側でした。なお、優勝した東北大学文学部の学生さんは当年の年間チャンピオン大会でも活躍されていました。
さて、放送収録から10日後でしたが、放送された時間帯、私は山梨県で高校関東水球大会の審判を担当し試合の真っ最中でした。ハーフタイムで相方の審判に「実は今、アタック25に出ている」と打ち明けたところ、そのまま自宅に電話をかけ奥さんに収録を依頼していました。
放送内容は、後日クリード社内休憩室で録画放映され、私は社内で「伝説のがっかりさん」になりました。参加賞としてもらったキーケースは今も現役、財布は長男が使っています。おまけとして解答席に表示する氏名の入った紙もいただきました。クリード在職中は自分のブースに貼っていました。
ところで、本選出場までに一番ハードルが高いのは①抽選です。毎週全国から届く膨大な量の申込はがきに加え、インターネット申込で飛躍的に増えたそうです。予選は全国の放送局で行われますが、会場で聞く都市伝説によると、予選参加確率を上げるために住民票を移す猛者もいるとのこと。また、一度本選に出場すると以後5年間は出られません。私もリベンジを期して5年を待って以後継続的に申込をしていましたが、中々当たりません。数年に一度当選した際も、決まって先約がありました。唯一、次男との親子大会予選会には参加できましたが、その時は敢え無く筆記試験落ちでした。
そして今年7月、番組の終了がニュースとなりましたが、前後してその週末に開催される予選会のハガキが届きました。私はその翌週にとある国家試験の一次試験が控えていましたが、優先順位は絶対にアタック25! 思えば中小企業診断士二次試験合格もアタック25出場直後でした。予選会場は浜松町クレアタワー。クリードの次の勤務先(プロパティデータバンク)の道路向かいの新築高層ビルです。様々な都内サラリーマン時代の思い出を抱え、綜合電設の宣伝も胸に秘めて予選に臨みます。
当日、まずは番組終了と、最終回までに期日が短いことから④合格通知は行わない、との告知がありました。今回の予選募集時には番組終了の予定はなかったとのことで、撤退を知らされるのはいずこも現場が最後です。また、最終回はチャンピオン大会を行い、このための優勝経験者限定予選会をおこなうとのこと。ちなみにと72名の予選参加者に本選出場経験を問うたところ、全員が挙手。そう、今回は出場経験者対象の予選会でした。
コロナ対応でアンケートはWebで事前に記入済のため、早速筆記試験開始、業界用語で「教科書問題」「時事問題」がそれぞれ15問出題されます。終了後直ちに採点され、合格者発表。私は次男との親子大会で筆記落ちしていたことと、周りのレベルも鑑み早々に帰り支度を始めていたところ、突然「27番、宮下さん!」と呼ばれ、周囲の拍手に包まれました。
面接には10名が残りました。それぞれ「私とアタック25」をテーマとした弁論大会のように熱き思いを語ります。前の人は筆記突破前提でフリップを準備し、自分が参加できる大会企画をプレゼンしていました。私も負けじと「チャンピオン大会の前週は裏チャンピオン大会にしましょう!私は8問答えて0枚でした!」とプレゼンテーション。出場者は感心していましたが、面接官のディレクター曰く「面白いけどデータがないなあ。。」とのこと。
結局、8月はオリンピック競技放映が続き、最終まで一般参加大会はなかったようです。私も10月に上記の二次試験が控えていたため、最終回は録画して試験後に見ました。
報道によると、番組終了の理由は「購買意欲が高く広告効果が見込めるM/F1(18~34歳),2(35~49歳)層の視聴率低下」が挙げられていました。私も今年50歳になり、マーケティング上は「M3層」の仲間入りです。無理に若ぶらず、でも商売を続ける上は感度は高め続けていきたいと思います。