前回から続く

 今回のハンガリー訪問に際し、せっかくなので近隣国にいる旧友も訪ねようと思い、鹿島ポーランドに勤める高校水球部同期の唐沢さんに連絡を取りました。17年前、当時彼の勤務先だったプラハに子連れ同期がベビーカーで集合したこともありましたが、その赤ん坊たちも今や大学生。唐沢さんも現在ワルシャワでは単身赴任です。

2006年プラハにて

2006年プラハにて


 丁度当地で開催される日本商工会議所主催日本祭りの実行委員として多忙とのことで、まずは一観光客として祭りを見物しました。ポーランドはヨーロッパ最大の親日国の一つで、日本祭りには3万人が来場します。イベントでは現地の方が居合道、よさこいソーランなどを披露して盛り上がりました。

 翌日午後から市内観光案内してもらい、月曜日に鹿島ポーランド社を表敬訪問しました。丁度新事務所に移転直後とのことで、公式プレゼン資料を元に中欧建設業界の概況と同社の軌跡を伺います。ポーランドは、平坦で広大な国土とウクライナに隣接する「EUの東端」という立地を活かすべく道路網整備が近年積極的に行われ、これに伴う物流拠点の開発ラッシュで業績が伸びているそうです。その中で、特筆すべき実績として「協力会社による『元請表彰』の受賞」を挙げていたことに驚きました。
Excellent Payer賞

Excellent Payer賞


 思わず「これ、うれしいの?」と聞いたところ、曰く、「まあ、日本とは文化の違いもあるけどね。でも、異国の地で知名度もない中、最初は仕事を請けてもらうこと自体が大変だった。協力会社の信頼を得るために現場での仕事ぶりを評価し、滞ることなく支払いを続けたことでゼネコン業者として認められたと思うと、やっぱり感慨深いよね」とのこと。当社も今は複数の元請から仕事をいただいていますが、やはり下請業者に対する態度は企業、担当者により違います。当社も下請業者としてこのアイデアを使う了承をいただきました。
新事務所で唐沢さんと 時差ボケ面

新事務所で唐沢さんと 時差ボケ面


 ポーランドでは、この他にも唐沢さんのお薦めで北部の港町グダニスクと南部の古都クラコフ、そしてアウシュビッツ=ビルケナウ博物館のあるオシフェンチムを訪ねました。第二次世界大戦でドイツと旧ソ連に挟撃された同国は各地に戦争博物館がありますが、その展示説明はいずれも淡々とした表現で事実を列挙しています。アジア各国でこのような施設を訪ねると日本を糾弾するものも多く、後世を生きる同胞として心が痛みますが、これはこれで逆に凄みを感じました。なお、「今なおソ連侵略の影響を被る国」に日本が加えられていました。英語の読み間違いかと思いましたが、よく読むと北方領土を指しています。また、「八紘一宇」「大東亜共栄圏」なども当時日本の思想もその顛末とともに大きく取り上げられており、久しぶりに「他国から見た日本」を意識しました。

 ところで、ポーランドでもそうですが、国外では現金が使えないところが増えています。日本祭りの出店も専らカード決済で、唐沢さんも屋外会場のWi-Fi環境整備に一苦労だったそうですが、駅の自動券売機もクレジットカードもタッチ決済のみという売場もありました。一方、私は手持ちのカードにはJCBのみが対応していましたが、多くのレジでは受入がVISA、マスターのみだったので、困りました。アウシュビッツ=ビルケナウ博物館ではかばん類持込み不可でしかもロッカーはタッチ決済のみ。手荷物検査場で預りをお願いするも(当然ながら)不可で、困り果てて検査担当の女性にロッカー代の立替払いを願いしたところ、苦笑されつつもロッカー棟まで同行、チケットを発券していただきました。コインで代金を支払おうとしたら「仕事なのでもらえない」とのころ。この歳になって旅先で貧乏学生のようなことをしてしまいました。
「働けば自由に」

「働けば自由に」

ビルケナウ(第2アウシュビッツ)収容所

ビルケナウ(第2アウシュビッツ)収容所


 アウシュビッツ=ビルケナウ博物館では夏季閉館時間の21時まで見学し、最寄りのオシフェンチム駅まで歩いて移動、ここから23時56分発の夜行列車「ショパン号」で終点ハンガリーのブダペスト西駅まで移動します。2時間半ほど時間が空くので、駅前のコンビニでズオッティ(ポーランド通貨)の使い納めです。パック入り寿司などが目を引くも日替わり特売価格の現地料理を買って使い切った! と思いきや、見ていた値札は2個セット価格で、現金が不足でした。レジを打つ女将さん?は英語も通じずお互い身振り手振りとなる中で、アイスクリームを諦め、組み合わせを変えて何とかお買い上げ。最後に余った4グロシュ(約2円=補助通貨)をチップとして寄付し、オシフェンチム駅のホームに向かいました。
ポーランド駅弁? かつ&ビーツ

ポーランド駅弁? かつ&ビーツ


 国際寝台列車に乗るのは鉄道会社に就職内定した大学4年以来30年ぶり。国内ではサンライズ1路線を残すだけとなった寝台列車ですが、ヨーロッパでは環境面から見直され、運行会社が異なる上下分離方式で徐々に復活しているようです。

コンパートメント2人寝台の先客は既にお休み中のようで施錠されており、車掌さんに鍵を開けてもらいました。彼は途中スロバキアの首都ブラチスラバ駅で下り、以後3時間ほどは独占でドナウ川沿いの鉄路を進みます。
スロバキアの首都、寝台車内で通過

スロバキアの首都、寝台車内で通過


 ブダペストは西駅→東口駅まで小一時間歩き、そこからさらに特急で3時間、今回の目的地ハンガリー南部の都市ペーチに到着です。

ハンガリー編

今回の鉄道行程 Eurailpassも今はスマホアプリ

今回の鉄道行程 Eurailpassも今はスマホアプリ

 以上、久しぶりの海外一人旅、しかも10日間の長旅を敢行することができました。自分の中では、家業を承継した時点でこのような冒険は諦めていましたが、その気になれば何とかなるものですね。真夏に汗かきながら空調服で日々現場に入る当社職人たちに対し少なからず後ろめたさもありましたが、当社取締役の皆川さん曰く「このような経験を全員に楽しんでもらうのが、働き方改革を進める社長の仕事でしょ」とのこと。母からも「お父さんも後年は海外旅行してたでしょ」と言われ脱力しましたが、もしかしたらこの10年間ムダに独りで気負っていただけ、かもしれません。