代表者挨拶
2018年8月8日午前3時35分、当社創業者である父 宮下國男が73年の生涯を閉じました。
父は終戦間際に鹿児島県の農家に4人兄弟の長男として生まれ、15歳で「仕送りと勉強が両立できる」少年自衛隊(生徒教育隊=現自衛隊高等工科学校)に入隊、そこで武器(レーダー)部隊に配属され、電気通信技術者としての道を歩み始めました。修了後、高卒資格を得るために定時制高校に編入学し、その後大学夜間部の電気工学科に入学しました。ところが入学直後に転勤辞令が届くも、どうしても勉強を続けたくて除隊。以後、住み込みのビル設備管理業などで学費と生活費を賄いつつ大学を卒業し、当社祖業の防犯通信機器工事にたどり着きました。
創業当初は休日昼夜問わず現場に入り、ほとんど家にいなかったと記憶しています。また、当初は事務処理も自ら行っていたようですが、程なく母が代わりに行うようになり、私も幼少時から手伝っていました。また、現場への資材配達のため母は運転免許を取得して千葉県中を走り回り、私は助手席で地図を見ながら道案内をする放課後を送っていました。
ちょうど私が小学校入学直前に当社を設立(法人成り)し、「夢の中でアドバイスを受けた」という綜合電設を社名としました。生粋の技術者だった父にとって企業経営は重荷だったようで、従業員を複数抱えるようになると「家族含めて生活を預かる」プレッシャーを口にし酒量も増えました。また、下請零細工事屋として味わう辛酸も強烈で、父は酔うと「お前は勉強して、もっといい人生を歩め」と私に説教しました。
そして私は父と別の人生を歩んで来ましたが、6年前に父ががんの診断を受けてしばらくの後、「継げとは言わない、何かあったら俺を助けろ」と父から言われました。その後、抗がん剤で認知症症状も進み、母からも懇願され、半ば介護離職として事業承継を敢行しました。
思い返すと、私は父の背中を見て育ってきたことを痛感させられます。そして、父ができなかったことも見えてきました。父にとって、当社は息子同然でした。そして、私にとって当社は弟同然です。再会した「兄弟」と4年半行動を共にしましたが、本当の付き合いはこれから始まります。20年間の他業界での経験をどこまで当社にフィードバックできるか、これからが本番です。
関係する皆様におかれましては、われら「兄弟」に対し一層のご指導ご鞭撻を賜りたく、よろしくお願い申し上げます。
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代表者略歴
千葉県立千葉高等学校、東京工業大学工学部社会工学科(都市計画専攻)卒業後、東京急行電鉄株式会社で商業施設の運営、開発、証券化に従事。2000年開業の南町田「グランベリーモール(現 グランベリーパーク)」では開業2か月前に着任し、管理会計、現地採用社員教育、テナント会などの運営システムを一気に構築。その後、株式会社クリードでアセットマネージャーとして預り資産500億円の商業施設ファンドを運用する一方、投資対象物件の運用管理システム導入を統括し、プロパティマネージャー(不動産運営委託先)50社とのデータ連動を実現。この経験を活かすべく、不動産管理クラウド(IT)ベンダのプロパティデータバンク株式会社に転じ、J-REIT等の不動産ファンドや大手生損保に不動産運用管理のシステムコンサルティングを行いながら、不動産部門向け会計システムの商品化企画、販売戦略作成も担う。
当社においては、5歳より総務(印紙貼り&電話番)、10歳より財務(銀行お使い)、高校、予備校、大学在学期間中の長期休暇時は現場施工に従事。卒業後は一旦縁が切れるも、中小企業診断士の取得を通じて事業承継の社会的意義を自覚し、東京急行電鉄を辞して入学した中小企業大学経営後継者コースにて事業承継のリアルを学ぶ。結論として「二代目」よりも「初代」を目指すことを決意し、再就職とともに個人としてコンサルティング活動を開始。一方で、渉外、内部管理体制構築等支援の求めに応じ当社非常勤取締役就任。2014年、父が病に倒れ、母による「介護と切り盛り」両立に限界を認め、完全事業承継を敢行。
保有資格
中小企業診断士、宅地建物取引士、情報処理技術者(ITストラテジスト、応用、基本)、1級建設業経理士
日本ショッピングセンター協会SC経営士、不動産証券化協会認定マスター、日本防犯設備協会防犯設備士、日本ファシリティマネジメント協会「認定ファシリティマネージャー」試験合格
電気通信主任技術者(伝送交換)、工事担任者(AI・DD総合種)、二級電気通信工事施工管理技士、第二種電気工事士、認定電気工事従事者、二級電気工事施工管理技士、消防設備士甲種4種
その他
・高校大学は水球部。就職後は日本水泳連盟公認水球審判員として全国大会決勝等を担当も、最近はちょっとご無沙汰。
・2005年クイズ番組「アタック25」に出場、児玉清さんと共演。2022年にはBSJapanextでのレギュラー第1回放送に出場し、同い年の谷原章介さんと共演。
・立教大学大学院ビジネスデザイン研究科客員講師を2年間務める。不動産ビジネス論のお題で、都市「を」商売することのリアルを披露。
・地元千葉に戻ってからは、千葉市資産経営推進委員会、千葉市都市計画審議委員、千葉市下水道事業経営委員、千葉西警察署防犯指導員、葛城水泳会(県立千葉高等学校水泳部同窓会)会長、社工会(東京工業大学工学部社会工学科同窓会)副会長等に就任。初心にかえって「身の丈地域貢献」を実践中。
・その他にも落雷抑制システムズ社の創業時営業支援などに加え、中小企業診断士として「不動産業のCS」「小売業の計数」等の企業研修も実施多数。得意領域は従来の「不動産+α(商業、金融、IT等)」に加え、現在は事業承継の神髄も体当たりで検証中。
・旅行好きで、国内47都道府県踏破。最初の転職時には「大人の卒業旅行」として3週間で世界一周。2度目の転職時はリーマンショックをラスベガスのカジノで知る。当社入社前には四国霊場八十八ヶ所をサイドカーで巡礼。おかげで父は余命2年宣告から復活、元気に6年間生きました。